2023年


ーーー6/6−−−  94歳の回顧


 
昔の農家の主婦は、本業の農作業の傍ら、自分の畑で野菜を育て、それを日々の食材にした。全て自給自足だった。調理方法も、先輩主婦から教わって、いろいろ工夫をした。味噌も作った。漬物もやった。蕎麦も種を撒いて育て、収穫した実を脱穀し、石臼で挽いて皮を取り、粉にして自分で蕎麦を打ったものだ。また、春は山菜、秋はキノコを採りに山に入った。本業の合間にそういうことをやりつつ、他の家事、掃除、洗濯や庭の手入れなどもやらなければならない。毎日、休む間もないほど、忙しかった。

 田舎は貧しかったから、何でも自分でやるのが当たり前だった。今から思えば、そういう手作りの生活は、たいへんだったけれども、楽しさもあった。野菜を育てるのは楽しかったし、料理を作って家族に食べさせるのも張り合いだった。季節の山の幸を採ってきて食するのも、大きな楽しみだった。蕎麦打ちも日頃の楽しみの一つだった。上手く出来ると嬉しくて、忙しい合間を見ては、張り切って打った。

 今の若い人は、外で働くのが忙しくて、昔のような事をやらなくなった。稼いだ金で何でも買えるから、便利な世の中になったものだ。しかし、思い返せば、貧しいから仕方なくやっていただけのような、自給自足の生活、手仕事の暮らしの方が、なんだか面白かったような気がする。

 94歳になっても、まだ現役で働いている、リンゴ農家のお母さんの言葉である。




ーーー6/13−−−  譲らない男


 
用事があって四国方面へ出掛けた。帰路、神戸の次女の家に立ち寄り、翌朝JR神戸線で新大阪に向かった。手荷物が大き目だったので、ラッシュアワーを避けるべく、早朝に出たのだが、大阪に近づくにつれて、次第に混んできた。

 乗車してしばらくしたら、優先席が空いたので、そこに座った。優先席は4人がけで、私が座った時すでに二人座っていた。向かい側の優先席は、両端に一人ずつ座っていた。

 ある駅で、頭がツルツルの中年男性が乗り込んできて、向かいの優先席の、空いている二人分のスペースの真ん中に座った。そしてスマホをいじり始めた。その時点では、特に異常なことは感じられなかった。

 次の駅で、40がらみの女性が乗ってきて、ツルツル頭の男性の前に立った。明らかに座席に座りたいという位置取りだった。それでもツルツル頭は真ん中に座ったまま、スペースを空けようとしない。スマホをいじり続けている。女性は、男の肩を軽く叩いた。横へずれて席を空けて欲しいとの意思表示と受け取れた。すると男性は顔を上げ、無言のまま人差し指で私の方をさした。男性の仕草は、「向こうの席が空いているから、あちらに座れ」という意味だと思われた。女性はチラリとこちらを振り返り、再度男性の肩を叩いた。「ここに座りたい」という意思表示の繰り返しだと感じられた。すると男性は、もう一度無言でこちらを指さした。ついに女性はあきらめて、こちら側に来て、私の隣に座った。

 「向こうにも席が空いているから、あっちに座ればいいやんか。なんでわしが譲らにゃあかんのや」という理屈だと想像したが、ここまで露骨に、クールに成し遂げるのを目にして、ちょっと驚いた。私はこれまで、関東と信州で暮らしてきたが、こんなシーンを目撃した事は無い。




ーーー6/20−−−  分子模型と孫娘


 
小3と小1の孫娘二人が、部屋の中で遊んでいる。何か一心不乱にやっているので見たら、分子模型のパーツを組み立てて遊んでいた。両親が化学工学系の出身なので、家の中にさりげなくこういうものがある。

 孫たちは、ただ組み立てていろいろな形を作るのが楽しくてやっているようだった。私は「じいじが好きなのは、これだよ」と言って、犬の形を作った。分子式C2H5OH、エチルアルコールである。「なんで好きなのか分かるかな?」と聞いたら、姉のはるちゃんが、「お酒に入ってるんでしょう」と言った。はるちゃんはとても察しが良い女の子である。

 その犬形の分子模型は、子供の手の平に乗るサイズである。その場にいた母親(私の長女)が、「この分子は、本当はどれくらいの大きさか分かる?」と聞いた。すると妹のめぐちゃんは、両手で子犬くらいの大きさを作り「これくらい?」と言った。

 私は娘と顔を見合わせてくすっと笑った。こういうシーンでばか笑いは禁物。めぐちゃんは、プライドが高く、傷付き易いのである。ともあれ、彼女が、正しい答えを理解するには、あと10年くらい待たなければならない。




ーーー6/27−−−  ホームページのトラブル


 
先週の火曜日に、御殿場の富士霊園へ墓参りに行った。母の命日が6月なので思い立った次第。父の命日は1月だが、その時期は寒いので、遠出はちょっと厳しい。6月に二人分まとめてやってしまおうという目論みである。道中に余裕を持たせるため、朝7時に家を出ることにした。

 朝5時に起床した。寝起きの運転は不安があるので、早めに起きるのである。ところで、火曜日は、ホームページの「週刊マルタケ雑記」の更新日。出発までの時間を利用して、記事のアップロードを試みた。記事は前の日までに準備してある。

 ところが、いつもと様子が違い、アップロードが出来なかった。「サーバがダウンしているか、プロキシ設定に誤りがあります」という警告が出て、サーバーに繋がらないのである。何度やってもダメだった。

 ひょっとしたらサーバーにトラブルがあり、メンテナンスでもしているのかと思い、時間をおいてみることにした。墓参りから戻ったら、再度挑戦することにした。ところが、夜帰宅してトライしても、やはりダメだった。そして、翌朝も、不調は続いていた。 

 これは深刻な事態と認識された。アップロードの機能が使えなければ、ホームページの更新ができない。定期的に更新をしているのは「週刊マルタケ雑記」であるが、過去20年間休まず掲載し、どれだけの読者数がいるかは知らないが、楽しみにしてくれている方々も居るのは分かっているし、私自身も張り合いを感じて続けてきた。それが THE END になってしまう。なんとも残念なことだ。

 身近に相談できる人はいない。この件に関連した企業に問い合わせをしても、おそらく電話が繋がりもしないだろう。突然訪れた絶望的な状況に、打ちひしがれた。それでも気を取り直して、解決策を探ってみた。

 サーバーにアップロードしているデータが、契約容量を越えてしまった可能性があると考えた。過去にそういう事があったのである。その時は、別の警告が出たようにも思ったが、とりあえずサーバーのホームページにアクセスし、管理ページを調べて見た。そうしたら、空き容量は十分だった。狙いは外れたが、ある情報に目が止まった。前の週に、サーバーのメンテナンス作業を実施したというのである。

 それは、データの通信をFTP方式からFTPS方式に変更する作業だったとのこと。これにより、従来のFTP方式ではアップロード出来なくなるとの記述があった。これは前もって計画された事であり、今年の1月から移行期間が設けられ、ユーザーは順次FTPS方式に変更するように求められていたらしい。

 そんなことはちっとも知らなかった。おそらく1月以前に、メールで通知が来ていたと思う。常識的に考えれば、そうでないはずは無い。おそらく私がそのメールに気付かなかったか、迷惑メールに振り分けられていたのだと想像する。今となってそんなことを探っても仕方ないから、過去のメール調べることなどしないが。

 これで希望の光が見えてきた。サーバーが提示している要領書に従ってFTPS方式に変更すれば、アップロードができそうだ。ところがである。そのように変更しても、サーバーに繋がらなかった。要領書の注意書きに、「ユーザーが使っているソフトによっては、FTPSが適用されないものもあるので、ソフトのメーカーに確認する必要ある」などという嫌な文面があった。私が使っているソフトは、AdobeGoliveであり、2008年に販売を終了しているので、確認のしようも無い。

 それでも、あれこれいじっているうちに、あることに気が付いた。サーバーのアドレスを打ち込む際に、先頭の文字列を飛ばしてしまっていたのである。それを直したら、ようやく繋がり、アップロードは成功した。こういう詰めの甘さは、シロウトならではである。結局、今回のトラブルを解決するのに、2時間ほどかかった。ともあれ、最悪の事態も覚悟していたくらいであったから、無事に修復できて、心底安堵した。

 ITというものは、ある日突然に、行き止まりのようなトラブルに襲われる。常にその危険をはらんでいる事を、覚悟しておくべきであろう。その覚悟は、人は必ず死ぬというレベルに近いと言ったら、大袈裟だろうか。